てりり◎物語、梗概集

てりり◎物語、梗概集

筋、道理。重層世界の諸要素。ナラトロジー

 季節の変わり目に彩りを求めて旅へ出た私は一面の紅葉の中を一人歩いている。行けども行けども世界は赤茶けてまるで視界が開けない。もう半日は歩いただろう疲れに歩みを止め座り込み胡座の上に頬杖ついてうつらうつらと瞬きする。もうこのまま此処で眠り眠って死んでしまいたい。その願いに身を任せただ沈み沈んで眠っていった。
 ふと気付くと辺りは一面の銀世界。緩やかな斜面で私は防寒服に身を包み眠ってしまっていたようだ。こんな雪山で眠るとは死をも恐れぬ大胆不敵。私はこんな人間だっただろうか。ふと気付く。私は私が分からない。私は誰だ。何者だ。いま何故どうしてここにいる。解せぬ。私は周囲に目を遣り兎も角山を下り人の助力を請う事にした。
 梅に積もった雪が落ちる。春先か。季節さえも思い出せず空と麓を見比べる。辺りに人影は無く人里も見えない。途方も無い虚無感に包まれる。歩け。歩け。歩けば平地に近づける。何も見えない世界をただただ歩いて歩いて歩き尽くせば海辺に辿り着く其れが島国日本の地形なのだ。歩き歩いて数ヶ月しかし海辺は無かった。おかしい……此処は日本では無いのか? 山を下りて森と草原と川があり下って海を目指した結果ただ川が続くのみ。人は居らず。虫も居らず。獣も居らず。魚も居らず。草花は咲き乱れ木々は繁り果実は絶えず有り四季が同時に在る。人の世では無い。そうかここは天国か。はたまた地獄か。はたと気づくと紅葉に包まれている。ここは現世……? 現実世界に還ったのか? 私は紅葉の中で深く息を吸い込むと思い切りよく吐き出しながらすっくと立ち上がり咆哮する。
 「我、世界の深淵を垣間見たり」
 突如怒号が沸き起こり辺り一面に相撲取りの群れが蔓延り私を胴上げする。
 「ワッショイ、ワッショイ、ワッショイ、ワッショイ」
 何事かわからぬ恍惚と無上の幸福に揉みくちゃになり世界は変転し私は地面に落下する。その勢いは甚大で地面に穴が空きマントルを通りぬけ地球の裏側へ出た時にはさすがの私とて息も絶え絶え間一髪の危うさだった。地球の反対側は幸いな事に海でなく溺れ死ぬ事の無い現状は不幸中の幸いと言えた。現地の民はやれ祭りだ生贄だと騒ぎ立てる。私は生贄ではない。しかし祭壇に奉られ切先鋭い器具で啄まれそうになった所を命からがら逃げ延びて山から浜へと遁走する。私は孤独だ。誰も何も判らない。夜空に思いを馳せ海岸の洞窟で眠る。数ヶ月もの旅を続けても陥ることのなかった孤独に他者の介在により陥った私は無窮の寂寥感に苛まれていた。
 翌朝私は世界の切先に剣を突きつけるべく海の中へと潜っていった。数ヶ月探し求めた海は思わぬ形で眼前に出現し私はその中に包まれる。不思議なものだと感慨に耽りながら海底へと辿り着き生物を掴まえる。雲丹だ。ここには雲丹がいる。取り貯めて陸へ戻り雲丹を束ね振り回し先住民を皆殺しにした。どうだまいったか。私は私による私の為の祭りを主催し先住民達の血肉を祭壇に捧げ神に祈る。奴らの神では無い。私の内的宇宙に介在する運命の神に。私の運命を変転させ謎に満ちた運命を歩ませ続ける絶対的価値観の担い手よ。我に幸いを! 叫び私はざぶんと海へ飛び込み泳ぎだした。
 海は雄大だ。広く意外と温かい。この地域は熱帯だろうか。温泉を思い起こした私は日本への郷愁を増しがむしゃらに泳ぎまくった。遥か彼方の日本へ帰り温泉に猿と雉と犬と桃と太郎と吉備団子とおじいさんとおばあさんと鬼とで入り全て茹で上がったところで食べてやろうという算段だ。悪くない。宇宙に行こうじゃないか。星の海に流されていく私はきっと美しいに違いない。商売は繁盛し先進的な発見をし世界の常識を塗り替え続ける空前絶後の天才として驕り高ぶり失墜し自殺を図って失敗し惨めに泣く。そして芸術家として褒め称えられるのだ。さらに革命を企て旧国家をを滅ぼし新国家を成立させ君臨するも短期間で新たな革命に遭い全て滅して消えて無に帰し虚ろに落ちるのだ。
 救助された私は震えていた。怯える子羊それが私。何も思い出せない私に優しくしてくれた現地の女性を妻とし私は復活した。まずはバナナ。そして刺し身。さらに糸楊枝の市場を制覇し打ち破る快挙を以って資本家として世界に君臨す。驕り高ぶって失墜するまでの僅か数年の間に一人空を眺めたり星に思いを寄せたり布団の温もりに微睡んだり安らぎの生活を満喫した後に出家す。私はバナナ。そして僧侶。そして国家元首として世界各地を歩きまわった。
 はた、目が覚める。夢。これは全て夢だったのか。世界中を巡る大冒険。数々の野望そして謀略の限りを尽くした楽園と地獄の綯い交ぜになった私の体験はあろうことか夢だったというのか。ええい忌々しい。私は煎餅布団から起き上がると縁台に向かい将棋盤を広げ塀越しに隣家の主人を呼ぶ。ああそうかいと飄々とした彼はパチパチと指し私は居飛車にし彼は振飛車で対抗型。穴熊に組めた私は自然と彼の飛車角を絡め取り姿焼きにして投了の声を聞く。三手詰めも解けない私が勝つにはこういった圧倒的大差しかない。燦めく星を眺めながら彼と私の違いを考える。茶を啜る私は彼より美しい。彼は一手詰めさえ読めない。私は何故生まれ何故死んでゆくのか。微睡みに絆されて私は絶命した。
 夢だった。私は将棋など知らない。三手詰めとは何なのだ。まるで意味のわからない夢を胸に抱え出社する。会社は順調らしいが私の担当する仕事は何の役に経ってるのだか自分でまるで理解できない不毛なものだ。空虚な空白の仕事を意義も解らずに行い続け死ぬ。定時より早く帰ろうとする私の振る舞いは社内で有名になっておりもはや解雇も間もないだろう。苦しい気持ちを抱え白い目を切り抜け退社する。ああ私は何故生まれてきたのか何故生きてしまっているのか。死にたい。無意識に近くのビルの屋上へ登り投身す。これで私は死して屍拾う者無し。永久に死者として現世還俗叶わぬ身となるのだ。
 夢だった。私は会社勤めなどしたことが無い。生まれついての自営業。零歳で酒屋に生まれ酒を売り現在に至るまで働き続け酒を飲む。酒こそ人生。酒があれば客なんかいなくても平気だ。酒持ってこい。
 夢だった。私は酒など飲んだことが無い。珠算の塾を経営する講師。趣味は電卓。簿記三級だ。
 夢だった。私は漫画家。足し算もできぬ。しかし週刊連載二本と月刊連載を抱え睡眠時間は毎日十時間という天才だ。
 夢だった。私は流浪の画家。ポンチ絵など描かぬ。各地で風景画を売り生活している。私は粘土細工師。私は鳶。私はへちま。私は蛙。私は。私は……
 現実。泥濘に足を取られ吐き出しながらもんどり打って転げまわる。私は一体どうなってしまったのか。幻想の多重世界を連続して経験しけれど全て偽りの記憶。私は今も見事に此処にいる。そして寝言を言いながら眠っている。そう私は眠っているのに起きているという現実を生きている。私の体は布団で眠りながら同時に道端に転げまわって蠢き苦しんでいるそれはつまり同時に私が存在している事そのものであって一方の私はもう一方の私でもあり私は複数の私を同時に認識し感覚しているのである。人間の有り様はいかにしてこうなったのか。旧来の人間は一つの体に一つの心でなければ存在できなかったであろう。ましてや複数の体に一つの心など有り得べからざる出来事だ。然れども。私は重層的に存在する無限の並行世界の無量の私をただ一つの心で受け容れ生きている。